2010年9月22日水曜日

南の国で思ったこと



昨日、南の国から帰国しました。

寒くなる日本とは対照的に、常夏の国らしく暑かった!
高層ビルの下には都会とは思えないくらい広い道路があって、
大勢の人や車が行きかっています。
よく見ると、中国系、アラブ系、インド系、マレー系など
見た目も、話す言葉も違いそうな人ばかりです。

ここまで言ったら、その国がどこかわかるかもしれないですね。

その南の国とは・・・シンガポールです。

シンガポールという国を語れるほど知り尽くしてはいませんが、
一つの国としていろんな意味で興味を持っています。

特に興味があるのは、多民族国家なのに、国として強い統一感があることです。

シンガポール人のうち80%強を中国系が占めています。
いわゆる華僑と呼ばれる人たちの子孫にあたります。
中国系と言っても、日本人が思い描く「中国人」とは少し違うイメージを持ったほうがいいかもしれません。

香港人も似たような感じなのですが、同じチャイニーズでも
中国系シンガポール人は自分たちのことを中国人(チャイニーズ)とは呼ばず、
シンガポール人(シンガポリアン)と呼びます。
そこには一種の「差別化」が感じられるほどです。
つまり、「俺たちは中国人とは違うんだ」という静かなニュアンスを含んでいます。

香港のあるレストランに行ったとき、ウエイターの香港人が話しかけてきたことがあります。
僕は広東語はわからないのですが、友達が通訳してくれたところ、
「日本人は食事のマナーはいいね。汚い食べ方をする中国人とはすごい違いだ」
と言っているらしかった。

日本で一般的に思われているように、
中国人=香港人も含むすべての中国系の人、という認識でいると、
その香港人ウエイターが言ったことはかなり奇妙に聞こえてしまいます。

実際は、香港人は香港人としてのアイデンティティーを持っており、
「俺たちは中国人とは違うんだ」
という感覚を持っているのです。

おもしろいのは、香港は中国の一部であるのにもかかわらず、
香港人のアイデンティティーは中国人ではなくて、香港人だということです。

シンガポールは距離的にも中国から離れているし、そもそも違う国なので
彼らのアイデンティティーが中国人じゃないのは、むしろ自然なのかもしれません。

それなら、シンガポールの中国系の人たち以外のアイデンティティーはどうか。
残念ながら、僕にはマレー系やインド系やアラブ系の友達はいないので
はっきりしたことは言えないのですが、
彼らもシンガポール人としての強い意識を持っているように思います。

その理由に共通語としての英語が果たす役割があるでしょう。
シンガポールの地下鉄でチケットの買い方がわからなかったとき、
隣にいたインド系っぽいシンガポール人に助けを求めたんですが、
英語でささっと答えてくれました。
そこにはネイティブスピーカーのような反応の素早さがあったのを覚えています。

シンガポールの英語はシングリッシュと呼ばれ、
その発音の訛りから正しい英語を話す人々じゃないような印象を持たれています。
確かに、シンガポール人の英語の発音は難しいし、
僕自身も、最初は言っていることの半分くらいしか分かりませんでした。

確かに彼らの英語は分かりづらいかもしれませんが、
彼らはその英語で育ってきたので、やっぱり英語のネイティブスピーカーなのです。
そういう意味で、「シンガポール人=見た目は違っても、英語がわかる人たち」
という安心感のようなものはあると思います。

そういった、「違う人種が混在しているのに統一感がある」という状態は、
同じ多民族国家であるアメリカとは対照的です。

以前に「外国人の親友を作る方法」という記事でも少し触れたのですが、
アメリカは、人種が混ざり合っている、というよりも、
異なる人種がそれぞれ独立したコミュニティを作っている感じなのです。
チャイナタウンで中華料理店を経営している中国人は、本当に一生チャイナタウンから出ないんじゃないかと思えるほど他の人種と関わろうとしないように思います。
(1世は特に?言葉がわからなければ難しいかも)
彼らにとってチャイナタウンは住みかであり、第2の故郷でもあるのです。、
アメリカにはそういう閉鎖的なエスニックグループがたくさんあるように思います。

おもしろいですね~
日本人として、多民族国家の中の生活にはやっぱり興味を持ってしまいます。

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