2010年12月16日木曜日

食べ残しはいけないことか



日本には「食べ残しを悪いことと考える」文化があります。
(食べ残し=食べ物を無駄にする=ご飯を捨てるとか)

多くの日本人はこれは人間として当然だと思っているし、
食べ物を粗末にするのは倫理的に問題があると思っています。
(コンビニや、飲食店では、事実として、日々膨大な量の食糧が捨てられていますが、それでも個人としては、多くの人が食べ物は無駄にするべきじゃないと考えています)

この「常識」は日本特有のものではありませんが、
1つ言えるのは、この常識が通用しない国もあるということです。

例えばアメリカではみんな平気で食べ物を捨てます。
理由は、聖書に「食べ物は粗末にしてはいけない」と書いていないからです・・・
というのは冗談ですが、
多くのアメリカ人は「お金を払えば、食べようが捨てようが個人の自由」
という考え方をするからです。
論理としては別にどこにもおかしいところはないですよね。

僕がアメリカで寮生活をしていたころ、
大学の食堂で食べ物を大量に捨てている学生を毎日のように見かけました。
アメリカの大学食堂はバイキング形式が普通(!)ですが、多くの人は食べ物を取り過ぎて、最後にはアメリカンサイズのゴミ箱にポイすることになるのです。

そんなに食べ物が捨てられたら食堂はコストで赤字になってしまうので、
大学側は考えた末、食堂の入口にメッセージボードを取りつけました。
そこにはこう書かれていました。
「あなたが毎日捨てる食糧には年間○○ドルもかかっているのです!」

これってすごいアメリカ的だなーと思いました。
日本だったらきっと、「食べ物を粗末にしないで!」だけで、こと足りるからです。
食べ物を粗末にすると何円無駄になるか、って書いたら
逆に説得力がなくなりますよね。
お金の問題かよっ、 みたいな。

じゃあアジアの国はどうかというと、タイでは食べ物をよく捨てます。
タイは世界一のお米の輸出国ということもあり、温暖な気候もありで
食べ物にはあんまり困る国ではないから、と言われています。
実際食べ物の物価は日本と比べたら激安で、1食200円でも過ごせます。
つまり、食べ物があんまり大事じゃないから、モッタイナイという感覚がないのです。

ここに、なぜ日本で「食べ残しが悪いこと」なのか、というヒントが隠されています。
日本では第2次世界大戦中や戦後、とても貧しい時代を生き延びてきました。
「蛍の墓」とかを見ればわかりますが、
そのころ食べ物は非常に貴重で、それを粗末にするなんて考えられなかったのです。
今、日本で「食べ物を粗末にするな」と言われるのにはそういう時代背景があったから。確かに、戦争時代を経験したお年寄りは絶対に食べ物を粗末にしないですよね。
その人たちに育てられた若者も、そういう考え方に影響されていると言えます。
そういう風に形作られた「空気」が文化なのです。

じゃあ、日本の年配者が言うように、食べ残しは本当に罪なのでしょうか?
ここで大事なのは、それも1つの考え方だ、と思うことです。

つまり、もしあなたが、
「食べ物を粗末にするやつはどうしようもないロクデナシだ!!」
と考えるなら、あなたはアメリカ人とタイ人の大多数を敵にまわしたも同然です。
本当に彼らはロクデナシでしょうか?
違いますよね。
それは「文化の違い」なのです。
食べ物を粗末にしてもいい、という文化は彼らにとっての「空気」なのです。

なので、食べ残しは罪か、という問いに対し、それは人によるとしか言えません。

ちなみに僕はこう考えています。
「食べ物は粗末にしてはいけない。
でも初めて口にする食べ物は(まずかった場合)捨ててもいい」

食べ物は無駄にしたくない。
でも、不意にどうしてもまずい料理を食べることになってしまった場合は
捨てるのも仕方ないと思っています。(失敗料理とか)
健康を悪くする可能性があるのに、無理してまで食べるのはおかしいでしょ。
文化は尊重するものであって、縛られるルールじゃないのです。

4 件のコメント:

  1. 面白い価値観の違いやね。
    確か『もったいない』って言葉は日本にしかないらしいよ!
    言葉自体が存在しないってことは、そんな考え方をした人がいなかったって事かなって思う。(ちょっと極端な言い方?)
    『もったいない』は『無駄にする』とはイコールじゃないし、『粗末にする』とも微妙に違う、日本の昔からある独特の考え方なんやろうね。
    食べ残しが悪いとは思わないけど、アメリカ人もタイ人も残す前に「もったいないな~」なんて考えがあれば、少しは食べ残しも減るかも知れないねー。

    返信削除
  2. アメリカでの生活が3週間目に突入しましたが、やっぱり食事をを目の前で毎日のように捨てられると萎えますね。そのくせ食後にお菓子とか食べてるし…。残した食事はラップして冷蔵庫に入れて腹が減ったら食えよと言いたいですよ(笑)。モッタイナイがもっと世界に広がればいいのに。

    返信削除
  3. >言葉自体が存在しないってことは、そんな考え方をした人がいなかったって事かなって思う。
    実はakiraと同じように考えた学者(サピアさんとウォーフさん)がいて、彼らの考え方は「サピア=ウォーフ仮説」って呼ばれてる。
    (リンク参照)
    http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/_kamoku/kiso/99/matuo.html
    つまり、「ある言葉がなければその概念は存在しない」ということ。でも、仮説と呼ばれている通り、証明されているわけじゃない。
    本当にモッタイナイっていう言葉がなければ、モッタイナイと思わないか、と言われればけっこう微妙じゃない?
    例えば昔の日本みたいに貧しくて食べ物がない国(例えば北朝鮮)で、食べ物はすごく貴重なんだけど、いつも食べ残しをするようなやつが1人いたら? おそらく周りの人間はそれをもったいないと思ってるでしょ?重要なのは、モッタイナイという言葉が朝鮮語になくても、おそらく彼らはそういう思考をしてるっていうこと。⇒だからこの場合、モッタイナイという言葉がない=そう言う考え方をしたことがない、というのは結構怪しくなってくるでしょ。

    ある概念は、別の国の言葉にはなかったりするけど、別にその国の人が「今まで考えたことがない」ことの証明にはならない。

    でも、モッタイナイという言葉を発明したのは日本人だから、そこは誇っていいと思う。

    返信削除
  4. 匿名さん

    さすがアメリカですね。
    でも、アメリカには本当にマズくて、健康に悪いご飯もあるので、そういうものは容赦なく捨ててください。
    逆に匿名さんの健康が心配です。
    そんなマズい料理が作り出されたのは決して匿名さんの責任じゃないです。(きっとそんなマズイ料理が出てくるとは知らなかったんですよね)

    モッタイナイをアメリカで忠実に実践しようと思えば確実に病気になります(笑)

    僕が日本で少し心配しているのは、モッタイナイを盲目的に信仰している人が多いことです。幸い、日本にはアメリカほどマズい料理は少ないですが、いつもそうとは限りません。
    だから(健康的にも気分的にも)害があると思えばそういう料理を食べなくてもいいんです。

    モッタイナイを信仰としてではなく、道具として臨機応変に使いましょう。

    返信削除