2010年5月9日日曜日

学ぶべき、道行く人に話しかける文化




↑永田氏のコラムを読んで思ったことがあるので一言書こうと思います。

知らない他人に話しかけることはありますか?
道を聞いたり、探している場所を聞いたり、とかはたまにあるかもしれません。

でもなんか暇してるからとか、ちょっとこの土地の人と話してみたいから、
みたいな理由で気軽に話しかけることはほとんどないと思います。

欧米社会の文化にカジュアルトーク(casual talk)の文化というものがあります。
カジュアルとは気軽に、という意味で、トークは話すこと。
つまり、気軽に他人に話しかけることです。
この文化は日本にはないので、日本人が海外に行くとカルチャーショックを受けます。

どんなものかというと、
例えば、バス停でバスを待っているときに
Aさん 「is the next bus coming soon?」みたいな当たり障りのない話を振って
Bさん 「i believe so」
Aさん 「where are you going?」

みたいに、会話が始まります。
もちろん、いつも始まるわけじゃないです。
お互い時間があるとき、気が向いたときに自然とこういう会話が始まります。

日本に20年以上住んでいて、こういう会話をすることはほとんどありません。
なので、アメリカなどの欧米圏でこういう会話を体験することは本当に新鮮でした。
たぶん、大半の日本人にとっても同じ感覚を持つと思います。

なぜですかね。

・日本人は、子供時代に、知らない人には話しかけるなと親から教わる。

・日本人は、異性に話しかけることになぜか抵抗感がある。
 →カジュアルトークはナンパだと間違えられる

・日本人は、友達になるのに時間がかかる
 →欧米の感覚では初対面から少し話したらfriendsとなるが、
   日本では(アジアでは?)もう少し親しくならないと友達とは呼ばない。
   ○これはSNSを見ても明らか。
   facebookでは少し話した相手をすぐaddするが
   mixiでは親しい友達しかマイミク申請しない。

双方の文化・習慣の違いにはいろいろな文化的背景があると思います。
でも個人的な意見として、この部分に関して、
日本人は欧米文化を学ぶべきだと思っています。

カジュアルトークの文化は、平たく言えば
他人と話をするのに理由なんかなくてもいい、ということです。

他人と話す、ということは人間の基本的な欲求(biological need)のようなもので、本当に長時間誰とも話さなくても全然平気、という人はほとんどいないと思います。

そういう意味で、赤の他人でも話したいと思えば話せばいいし、
異性だったとしても、ナンパしてると誤解されそうorナンパされてるのかな、
という風に変に意識する必要もない。

大事なのは、ただ会話を楽しむということ。

欧米かぶれの僕にとっても、カジュアルトークをすることは気が引けますが
海外では少しそれが楽になります。

もしこれから海外に旅行する、留学する、という人がいれば、
ぜひこのカジュアルトークに挑戦してほしいと思います。
日本では味わえない充実感を発見すること間違いなしです。

2 件のコメント:

  1. 今日は少し辛口で。

    みんな親しくなりたいと思っているけれど、カジュアルトークができないから、日本人は飲み会とかでやっと話せるんじゃないかな?

    カジュアルトークができなくても、奥ゆかしい日本人の文化もいいなぁとぼくは思うなぁ。いわゆる恥の文化というやつ。

    でもあっちの方にいくと、気が楽になるんだろうなぁ。気が楽になるかわりに、逆にあっちで大変だったことってどんなことなのかな?

    返信削除
  2. コメントありがとう。
    そやね。なんでカジュアルトークができないんですかね。
    自分の経験からいくと、「他人」というものになんかこう変に身構えてしまうような気がします。
    でもアメリカにいたときはそういう身構えがなかったと思います。
    外国人の僕に対して親切なんだけど、扱われ方は他の誰とも変わらない。
    アメリカに来た日本人留学生の僕ではなく、どこにでもいる一人の人間としての僕として見てくれたと思います。
    そういう意味で肌で感じる差別はないけど、特別扱いもしてくれないという感じかな。そこが大変だったところかな。こっちは英語もロクに話せないのに、現地のアメリカ人と扱いは一緒なわけだからね。

    アメリカでも、ちょっとカジュアルトークしただけですぐに親しくなれるわけじゃなく、そこではまだ軽い友達程度で、そこから親友と呼べるくらいになるにはもっといろいろ話してお互いを理解し合わないといけないと思う。

    返信削除