2011年3月21日月曜日

彼女の判断を曇らせるもの


先日、外国人のある友達がMSNで話しかけてきました。
その人が言うには「今迷っていることがある」そうなのです。

彼女は母国で日本語の勉強を長い間続けていて、
日本語もある程度はわかります。
現在は働きながら、日本語会話スクールに通っているそうで
なかなか熱心な日本語スピーカーです。
  • 勉強を続けるか、やめるか
その彼女の悩みとは、
「日本語の勉強を続けるか、辞めるか」というものでした。

なんでも、働き始めてから払う税金も増えてきて、
それでも海外旅行とか、ショッピングもしたいし、で
いろんな出費が増えてきた。貯金もしたいし、
どうもこれは何かを削らないとダメだということになり、
白羽の矢が立ったのが「日本語の授業料」ということらしい。

僕は軽く「辞めたらいいじゃん」って言ったのですが、
彼女は「でも、今まで続けたから今さら辞めたくない」
と言うのです。
  • 今まで続けたことを辞めるのは難しい
今まで続けてきたことを辞めるには、かなり強い決意が必要です。
なぜなら、今まで続けてきて積み上げてきたものを辞めるとなると、
これまでやってきたことが全部無駄になるような気がしてしまうから。
語学の場合は特にそうで、使わないとすぐに忘れてしまう。
おそらく、これは語学に限ったことではなく、
どんな種類の勉強でも、続けていないと忘れてしまって、
いずれは役に立たなくなってしまいます。

(例えば、僕は大学時代に中国語を2年も勉強していたけど、
2年経った今、ほとんどの表現はきれいに忘れてしまった)

だから、彼女が悩むのもよくわかります。
今勉強を辞めたら、せっかく覚えた日本語を忘れてしまって、
今までかけたお金と時間が無駄になってしまうからです。

  • 無駄遣いの原因はサンクコスト
ただ、ここにはちょっとした落とし穴があります。
それを「サンクコストの呪縛」と呼びます。

サンクコスト(sunk cost=沈んでしまったコスト)とは、
過去に投資したお金のうち、もう回収できない費用のことです。

ウィキペディアにいい例があったので引用します。
ある映画のチケットが1800円であるとする。しかし映画が余りにもつまらない時、1800円払った映画を見るべきか、それとも映画館を出て残りの時間を有効に使うかが問題となる。
  • 映画を見るのを止めた場合:チケット代1800円は失うが、残った時間を有効に使うことができる。
  • 映画を見続けた場合:チケット代1800円に加え、約2時間(上映時間)を失う。
(ウィキペディアより抜粋)

彼女の場合、
今日本語の勉強を辞めたら、浮いたお金で旅行に行ける。
宿題もやらなくていいので、他のことに時間を使える。

でも、もし勉強を続けた場合、
今後「日本語が必要な仕事に就く」ようなことがあればいいですが、
そんなチャンスがなかった場合は無駄になってしまう。
その時に発生する損失は、
早く辞めたときの損失と比べて大きくなってしまう。

実際、本人もあんまり学べていないので、
授業料が無駄になっていると感じているようなのです。
それでも授業を続けている理由は、
「今まで投資したから、
今辞めるとそれが無駄になるから」なのです。

でも、それを放置していると、
(払った分だけ勉強できていないのに)どんどんお金を使ってしまい、
結果的にもっと多額のお金が無駄になるのです。

その場合、「あのとき辞めていればよかった」となるわけです。
  • 中国語の授業を続けるか、辞めるか
僕の場合、中国語を1年勉強した後でこう思いました。
「1年やったのだから、もう1年やろう」
でも、そんなに中国語には興味はなかったのです。
少なくとも、勉強し始めた頃の熱意は消えていた。

純粋に中国語がおもしろくて、「続けたい!」のか、
「去年やったから、今年もやろう」なのか、
そこはよく考えたほうがいい、ということ。

僕は2年目も勉強を続けてしまって、
無駄だったなーと思っている。

過去に囚われたら、正しい判断ができなくなる、
とも言えるかもしれない。

もちろん、
彼女が将来的に日本語が必要になる仕事に就く可能性もあるから、
そこの判断は難しいです。

ただ、1つだけ言えることは、
「今までやってきたから」という理由だけで、何かを続けようとしているときは、もう一度自分の判断を疑ってみたほうがいい、ということです。


関連文献


ライフハッカー

2 件のコメント:

  1. オホホホホホ

    シマンさんの言う通りですな!
    やはり「せっかく今までやってきたから、これからもしなくちゃ」のような考えは確かにいずれ大いなる損になってしまう可能性が高いですね。

    勝手ながら、少し意見を述べさせて頂きたく存じます。四年間日本語を勉強し続けてきた僕だけの意見ですが、どのぐらい上手にその言語をこなせる事は本当の語学の一部にすぎません。(この場合「真の語学」が頭に浮かんできましたけど、ちょっとドラマ臭くて。。)語彙と文法だけを頭に込み入れる事だけではなく、語学というのはその国の文化の勉強も含まれているではないだろうか。

    具体的な例を言いますと、ある日エディンバラで友達と一緒に夕食をしていた時に、日本語に興味を持っているその友達に「日本では食べる前になんて言ったっけ?」。。と聞かれました。「’頂きます’と言うよ」って僕が答えました。

    そういうことなら Japanese for Busy Peopleと言う本でも学べる事でしょう。食べる前に必ず言うセリフのはパソコンでグーグルで検索したらすぐ分かると思います。「あ、そっか。もう分かったから次の課題へ!」と思ってしまう人もいらっしゃるだろう。思い返すと僕のその答え方でその友達に日本の文化の勉強を奪ってしまったと思います。

    「一人でも食べる前に言うんだけど、友達と同僚と一緒の時に必ずしも一緒に言うこと。」と言い忘れました。まぁそんな堅苦しくはないですね。どんな言葉でも、どんなセリフでも、いつ言うのが適切、どういうのが適切ことを勉強する事は大事だと思います。そして、それから、日本の方にとって、トモダチに対する、食べ物に対する想いも語学から学べるものじゃありませんかと思います。そういう語彙から分かる文化は、たとえ長い間勉強を放置して言語を忘れても、その身につけた文化の知識は一切忘れないだろう。

    そういうシマンさんの外国の知り合いでも、いずれ日本語を忘れるかも知りませんが、身につけた文化の知識は忘れられないと思います。

    簡単に言いますと、語学に文化の勉強でもあると自ら認めれば、勉強すればする程、自分も変わってゆく存在になります。

    語彙なら忘れられるものですが、語学で身につけた分かは忘れられるものじゃありませんので、たとえ今まで勉強してきた事をぜーーーーんぶ忘れても、全くの損になるわけではありません。






    と、僕が思っております。

    僕の日本語が鈍ってきましたので、文法の間違いとか分かりにくい所がありましたら、言ってくれたら編集します(でも添削してくれた方がこっちに楽です!っw)

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  2. ノーさん
    わざわざ日本語でコメントしてくれてありがとうございます。
    お礼に、添削した文章をメールで送っておきましたのでご覧ください。

    確かに、語学を勉強する目的は言葉そのものだけではなく、その国の文化とか習慣を学ぶことにもなります。

    日本語を学ばずに、日本文化だけを学ぶのは難しいし、
    日本文化を学ばずに日本語だけを学ぶのも難しい。
    「言葉と文化は表裏一体」と言われるのはこのためです。

    でもそういう目的の語学って、どちらかというと、生涯学習的な側面が強いですよね。趣味で勉強する語学に近い。

    ただ、多くの人は実際に英語を仕事で使いたいとか、日本に来て働いてみたいとか、そういう現実的な目的を持って語学の勉強をしてるんじゃないかな、と思います。
    若い人ほど特に。

    ま、この記事のテーマは別に語学だけじゃなくて、他のすべてのことにも言えることですけどね。

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